2012年02月18日

「子どもの居場所」

ラオスの記録。その最後は、少し違った視点で感じたことを・・・。

僕は縁あって、某市の次世代育成計画に関わっています。子どものことに関する施策の計画です。
委員としてはその計画の策定や推進について意見を出したりしているのですが、同時に他の委員らと一緒に自主的に研究班をつくって勉強したり、研究をまとめたりしています。
その研究班の中で、ちょうど議論していたのが「子どもの居場所」というテーマでした。

日本中のいたるところで、「子どもの居場所」の必要性が叫ばれています。
研究班で議論していると、親たちや、市民活動をしている人達などが、「子どもの居場所」づくりを、様々に実践していることがわかりました。その一つひとつはそれぞれに素晴らしいく、実際に成果をあげてもいるようなので、それらは評価されるべきことなのでしょう。しかし、その一方で、どれだけ実践が増えても「子どもの居場所」の必要を叫ぶ声が減っていかないという事実。
何か物足りなさを感じるのです。
「子どもの居場所」を作ろうという一つひとつの実践を否定する気はありませんが、それだけではない何かが必要なのだろうと・・・。
ラオスに行く前の、研究班においてもこの疑問が議論されていました。
大人が子どもの居場所を作るだけでいいのだろうか?
子どもたち自身が自分たちの居場所を作ることができる環境を整えることも、同時に必要なのではないか?
子ども自身が自分たちの居場所を作ることができる力を持つことは?
そもそも、子どもの居場所というのは、本当に必要なのか?
子どもの居場所とは、なんなのか?
考えれば考えるほど、疑問は増えていくばかり。

そんな疑問を抱えながら、僕はラオスの子どもたちと出会ったのでした。

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サーンハイ村でお土産を売る子どもたち

僕が出会った範囲での判断ですが、ラオスの子どもたちには、あらためて大人たちが居場所作りをする必要はないようです。
まず、そう思いました。
「場」としての居場所よりも、「役割」というコミュニティの中での居場所を持っている。そして、もしかしたらそのことの方が、居場所の本質なのではないかとも感じられました。

近代の日本は、子どもを労働から解放しました。それは労働搾取からの保護であり、同時に将来を担う子どもたちへの教育の保障でもありました。
この視点からすると、ラオスの子どもたちは不幸な境遇に置かれているということになります。
しかし、僕が見た範囲では、現在の日本の子どもたちが持っているような孤独感や、疎外感、あるいは自分自身が何のために生きているのか分からない、というような虚しさからは無縁のように思われます。この点だけを取り出して考えると、あるいは日本の子どもたちの方が「心」は不幸なのではないかとさえ感じられました。

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人形を売る子どもたち

日本では子どもを労働から解放するかわりに「子どもは遊びが仕事だ」とか「子どもは勉強することが仕事だ」というような表現で、役割を持たせようとした。それは、子どもの頃に働くことばかりで近代的な遊びや学びができなかった世代が親でいる頃には、有効なスローガンだったのだと思います。しかし世代が代わり、近代的な遊びと教育の中で育った世代が親になった時、もうその子どもたちには誤魔化しがきかなくなってきた・・・。
「子どもは遊びが仕事だ」とか「勉強することが仕事だ」と言われても、本気で信じている子どもはずっと少なくなっている。そして同時に、代わりの役割を見つけらるわけでもなく、自分は何のために生きているのか、という疑問と不安だけが大きくなっていく。
大人たちでさえ、定年になった時に自分の居場所が見つけられなかったり、家事に負われる暮らしの中で自分の存在価値を見失ったりするのです。子どもたちの持つ「役割」の喪失から来る存在への不安は、とても大きなものなのでしょう。

近代的な遊びや教育からは遠いかもしれませんが、昔の日本や、僕が見たラオスでも、子どもたちは労働に従事しながら何かを学び、遊んでいたのだろうと思います。
近代の考え方は「労働」「遊び」「学び」を切り離して、「遊ぶ時間」「学ぶ時間」「働く世代」などと分けていくことを合理性としています。そしてそれらが渾然一体となった時間の過ごし方は、一種未開な文化だと思い込む風潮もあります。
しかし、そう決めてしまわないで、昔の日本や、ラオスの子どもたちの姿から何かを学んでいくことも必要なのではないか、と思いました。

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観光客を乗せた船が来るまでは遊びの時間

写真の子どもたちは、おそらく大人たちがセットした「子どもの居場所」で遊んでいるのではないのでしょう。自分たちで、自分たちの遊び方をと遊び場を作っている。大人たちが彼らに提供しているのは「居場所」や「遊び方」ではなく「役割」なのだということ。

このことから考えられることは、たとえば「子どもの居場所」づくりが、ちょっと間違えると子ども自身が居場所を作る力を阻害することもありえるということ。そして今一度、「子どもの居場所」がなぜ必要なのかを考え直し、また、それを「場」だけでとらえない議論が必要なのではないか、ということ・・・。

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僧侶という「社会の中での役割」、その僧侶から食べ物をもらうという「家族の中での役割」

しかし、日本の現在においては、写真のような子どもの「役割」は否定されるべきものです。
ですから現実的には「子どもの居場所」をつくる活動を持続させながら、並行して「子どもの居場所」についての議論や、もう一つ別の方法の検討や実践をしていくことが必要なのだろうと思います。

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ルアンパバーンの市での子どもたち

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販売と昼寝が両立している

日本が子どもたちを労働から解放した時、その「正義」を論ずることに忙しく、将来起こってくるかもしれないリスクについては、ほとんど議論されなかったのでしょう。ですからその時には、現在の孤独な子どもたちの姿は想像されていなかったのだろうと思います。一種、能天気なほどに、大人たちは輝きに満ちて遊び、学ぶ子どもたちの姿しか思い浮かべずにいたのではないでしょうか?
子どもたちを労働から解放したことが間違いなのではなく、あまりにも正しいことをする時に、そのリスクに対する思考を停止してしまう人間の性質に問題があるように思います。

このことは、委員をしている次世代育成の計画においても危惧されることです。たとえば「虐待」を無くそうと思う時、その方法を考えることに終始し、それを思いつくと正義感たっぷりに制度化してしまう。そのさいには、その施策によるマイナス要因についての議論はまるで行われず、時にはそれを考えることは反正義であるかのような印象さえ生じてしまう。

正しいことを正しいとだけ思って行うことの愚かさ!

障害者の権利擁護や、話題の総合福祉法などの正義たち。それらは、たぶんそれらを行った場合に将来想定されるマイナス要因への厳しい議論をしないまま、正義感一杯に施策化され、実行されていくのでしょう。
それはちょうど、電力の安定供給という素敵なスローガンのもとで、呑気に原発が作られ続けてきたのと、ちょうど同じような構図です。

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家族揃って。一つの幸せの形

正しいことを考える時にこそ、そのマイナス要因を同じくらいの熱心さで考えるルールが、僕ら大人には必要なのかもしれません。
そして障害や子どもなど、いくつかの計画の策定に関わる僕自身が、そうした一人としてそこにいることが大切なのでしょう。
そのことが、計画策定の委員会というコミュニティにおける僕の「居場所」であり「役割」なのかもしれません。

ラオスの旅の記録は、以上で終了します。
posted by 五十嵐正人 at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ラオス 2012年1月19〜23日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月16日

ラオスの旅、最後の日

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ルアンパバーンで泊まったホテル

早朝の托鉢見学を終えて市内観光。

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市場で買い物

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基本的には住民のための市場だ

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多くの人が利用しているバイクの店も

観光の最後は、ルアンプラバーン国立博物館。

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むかし、王宮だった建物だ

展示されているのは、王宮の暮らしぶりを伝えるきらびやかな品々。そして、フランスによって王を傀儡とされ、支配されたラオスの歴史。この王宮自体が、傀儡の王を住まわせる箱として作られたものなのだそうです。

時代は流れて、旧王宮の庭では・・・。

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モデルの撮影が行われていました

ラオスの旅は、こうして終わりました。

上座仏教の、そして社会主義国でもあるラオスの社会福祉。それが僕の中のテーマでした。
それを理解するには時間が短かすぎました。しかし、いろいろな事を感じて、沢山の発見があった旅でした。

ラオス障害者女性開発センターで聞いた、障害者施設に地域住民が学びに来る、社会資源共有の構図。
COPE資料館で知った降り注ぐ地雷の、現在に続く恐怖。そして日本の今。
この朝体験した托鉢は、金銭を媒介としない福祉の可能性を見せてくれたように思います。

貴重な体験に加えてくださって千葉県福祉協会授産部会のみなさん、ありがとうございました。
加えて、日本から添乗してくれた旅行代理店の方、現地通訳の方。そしてなによりラオスで出会ったみなさん、本当に濃厚な体験をありがとうございました。
今の僕にとっては、機会があったら、また行きたい国のナンバーワンです。

ラオスの旅の記録は、あと一回。別の視点でまとめた記事を次回書いて終わりとなります。

あっ、忘れてました。
ラオスの街での移動に欠かせない乗り物、トゥクトゥクの写真。オート三輪のタクシーのようなものです。とっても便利でした。

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posted by 五十嵐正人 at 21:35| Comment(2) | TrackBack(0) | ラオス 2012年1月19〜23日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月14日

小さな流れ、托鉢

生れてはじめての貴重な体験でした。
1月22日朝、まだ暗いうちから街に出て、托鉢の見学。
そこで、僧侶に食べ物を渡すことを体験できるというので、やらせてもらったのです。

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僧侶は現世とあの世を繋ぐ存在のようです。ですから僧侶に食べ物を渡すのは、僧侶を食べさせるためではなく、自身の祖先や他界した肉親に食べ物を届けてもらう意味があるとのこと。
ですから、渡す人たちの方が地べたに座って、前を歩く僧侶の持つ容器に食べる物を入れていきます。

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托鉢の僧侶に渡すための米や菓子を売る店

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僕は米を買いました

一列になって歩いてくる托鉢の僧侶たち。
手に少しの米を軽く握って僧侶の容器に入れていくのですが、米が熱くて、しかも急がないとどんどん行き過ぎてしまうので・・・。

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なかなか自分の祖先や他界した肉親を思い浮かべる余裕はありませんでした

僧侶の列の先頭は、一番位の高い人のようです。

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列の後ろの方には、少年の僧侶も

そして僧侶の列に寄り添うように、一般の子どもたちが容器を持って・・・。
その容器に、今度は僧侶が自身のもらった食べ物を分け与えています。

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子どもたちの入れ物には、いろいろな食べ物が

僕らの感覚だと、多くの人の手が触れた食べ物ですから衛生上、ちょっと・・・、という感じがします。しかしラオスにおける僧侶の地位を考えると、その手から分け与えられる食べ物に、衛生上の心配は野暮というものなのでしょう。

さて、とても考えさせられたのは、僧侶を媒介とした食べ物の流れるシステムです。
もちろん、人々が僧侶に対して食べる物を渡すのには、先祖に届けるだけではなく、実際問題として僧侶を食べさせるという意味合いもあるはずです。それがなければ、僧侶は生きていけないのですから。しかし、それだけのことなら、単なるお金の寄進でもよいはずです。
ラオスが上座仏教国であるためなのか、あるいは社会主義国であるからなのか、それはわかりませんが、お金を介さずに、食べる物を直接渡すこのシステムが、重要な流れを生んでいる・・・。
食べる物を僧侶に提供できる人達は、それなりに裕福な人達なのでしょう。その一方で、貧しい人達もいる。日本なら、政府が間に入って、税金というお金の流れで貧困層に富を流していくことになります。しかし、このお金を使うシステムは、単なる貧困層支援だけではない側面を持っています。支援を受けた人達が食べるためには、そのお金で買い物をしなければならず、最終的には税金を払っていた人達にそのお金が回収されることになるのです。
お金を介さずに直接食べる物を分け与える托鉢と、そこに集う貧困の子どもたちの構図は、富裕層による回収という結末を持ちません。
経済が関わらないということはつまり、利潤が乗せられないので、無駄なく食べる物が流れていくともいえるでしょう。
とはいっても経済がまったく関わらないわけではありません。
食べ物を渡す人、僧侶、僧侶からもらう子どもたち。この3者の間に金銭を交えた経済はありません。しかしその外部であるところの観光客は、僕のように店で食べる物を買って参加しているのです。
なんとなく、ラオス、あなどれない!

・・・何もかも貨幣に換算して、社会福祉までも経済システムに委ねることを選択した日本では、「よりよい福祉」イコール「福祉予算の増加」という構図になってしまいます。福祉予算が減れば福祉の質は低下し、もっと充実させたいと思えば予算の取り合いが加熱する。
悪い意味で、経済の奴隷のようになってしまう現在の障害者自立支援法のシステムから、僕らは少しずつでも逃げていくことが大切なのでしょう。
障害者自立支援法成立以来、その支援サービスを一切使わずに暮らしている裕子さんのように・・・。

メコンの雄大な流れに浸った翌日に、いろいろ考えさせられた、托鉢体験でした。

僕が見学した場所のちょうど後ろは、

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幼稚園の様な施設

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遊具はこんな感じ

僧侶になって托鉢する少年たちも、そこに集まる子どもたちも、同じ幼稚園に通っていたのでしょうか。
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2012年02月13日

世界遺産の街

世界遺産の街、ルアンパバーン。
多くの寺院がある中でもシンボル的存在、ワット・シェントーンに行ってきました。
残念ながら屋根瓦の改修工事中だったのですが、そのおかげで、興味深いものを見ることができました。

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ワット・シェントーンの本堂

台風や地震の被害が少ないルアンパバーンでは、屋根はとてもシンプル。壊れにくい丈夫な屋根にする必要がなかったのでしょう。ちょっと壊れてもすぐに直せる方向性が、ある意味潔い!
屋根の骨組みに瓦を乗せるだけの、日本では考えられない造りです。

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瓦は、木組みに引っかかりやすいようにL字型

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屋根を下から見ると、こんな感じ

本堂の中には、仏教を題材にした壁画が書かれていました。
現世での悪事によって堕ちる地獄の様子には、いろいろと心当たりが・・・。

ラオスではほとんどの人が仏教徒。仏教徒の男性は一度は出家するそうです。
通訳の方のお話しでは、結婚前に出家することが親孝行になるらしいです。
(ここから、僕の理解。間違っていたら御免なさい・・・)出家をしていないと、死んだ時に財産が親と配偶者に分けられる。しかし一度出家しておくと、死んだ時に財産が親にすべて渡されるとか・・・。
そんなわけで仏教徒の男性は結婚したければ、出家を済ませることになるそうで、通訳の方も一週間だけ出家したそうです。
もちろん形式的ではなく、ちゃんと僧侶を目指して出家する人達もいますし、もっと複雑な事情で出家をする人達も。

僕の中の、上座仏教のイメージが、だんだん変わってきました。

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本堂の中で、屋根の修理を待つ仏像

ワット・シェントーンを出ると、メコン川。

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川に下りる石段に座ってメコンを眺めていると、いろんなことがどうでもいい感じになってきました

京都も、鴨川などの河川と寺院の都市です。
同じ構図でも、建物の様式や、川の有り様などなど、個々の違いでだいぶ違った様子になるものですね。しかし、どちらも川と寺院が密接に繋がって、物思う街を形作っています。
何かが同じで、何かが違っていて・・・。

日暮れが近づいてきました。

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大通りでは、ナイトマーケットの準備がはじまっています

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長い石段をのぼって、プーシーの丘の上へ

夕陽を見るために、大勢の人が集まっていました。

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メコン川にも夕陽が映って・・・

夕陽の美しさ、それを求める人々は、日本もラオスも変わらないのでしょう。
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2012年02月12日

メコン川をゆっくり、ゆっくり

メコン川は、僕が今まで見てきたどの川とも違っていました。
川幅が広く、ゆっくり流れていて、泥で濁った色をしていました。

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クルーズがはじまりました

しかし、メコン川はそれだけの川ではないようです。僕が知らない時には氾濫してさらに川幅が広くなり、おそらくは激しい流れになることもあるのでしょう。僕が濁っていると思っている水は、肥沃な栄養分を土壌に運んでいるといいます。
そしてこの川は、日本の国道16号線のようでもあるのです。車で行くファミレスや、ショッピングセンターのように、観光客向けの乗船場付きのレストランや見どころが点在していました。

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船から見た昼食のレストラン

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レストランから見たメコン川

氾濫した時には、このレストランの高さまで水面が上がってきたようです。
この水が豊富な栄養分を川沿いの畑に与えるのだといいます。それがあるので、肥料は特に使用しなくてよいのだとか・・・。

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レストラン下の畑。メコン川の恵

乗船場には、サーンハイ村の乗船場同様、1ドルの人形を売る子どもたちがいました。船がくると、乗降する人に積極的な販売攻勢をかけるのですが、船が無い時は・・・。

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遊びに夢中

ふたたび船に乗ってメコン川に。

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ジャングルの景色や

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中国の山水画のような岩肌や

そうかと思うと

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刑務所だそうです

川沿いのパークウー洞窟に立ち寄りました。

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中にはたくさんの仏像が

洞窟の入口には・・・

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これ、売っているのです。落ちている貝殻とか石とか・・・

川が単なる景色ではなく、道であり、観光資源であり、農作物の栄養であり・・・。もちろん漁業の場でもあり、生活の様々な部分に関わり合っています。
日本で考える合理性とは別の豊かさを感じずにはいられません。
氾濫の恐ろしさや不安など、川の持つ負の部分も認めて、人が共存している様子。

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何か大きな大きな循環を感じました
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2012年02月09日

サーンハイ村

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ジャングルの緑に織物の彩が美しい

1月21日、ビエンチャンからルアンパバーンへ、プロペラ機で移動。
空港から車に乗って、訪れたのはサーンハイ村。焼酎ラオ・ラーオ造りで有名らしいのだけれど、まず目についたのは、お土産品として売っている織物の美しさでした。
メコン川沿いでクルーズの船着場を持つこの村は、観光用に作られたような感じ(あくまでも僕の感想ですが・・・)。そしてお土産も手作りばかりではなく、ある程度の工場生産の物も混じっている感じ(あくまでも僕の感想ですが・・・)でしたが、それでもジャングルの緑に映えた反物は、市内の市場で見るよりも輝いていました。
あまりに美しくて沢山写真を撮ったので、あまり難しい話しは無しで写真を紹介します。

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店と住まい(奥)が一体になっている家

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機織りをしている女性や

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刺繍をしている女性

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大作を見せてくれた

市内の市場でもそうだったのだけれど、驚くほど、お店の人は販売に積極的ではありませんでした。
こちらが商品に興味を示してはじめて、声をかけてきます。
店の前を横切るだけでしつこく売りに来るような、勝手なイメージを抱いていたのですが・・・。
社会主義国であることの影響でしょうか?

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たぶん売り子さんなのですが、遊んでいて僕らには興味なし

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バナナを焼く子

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お店の前を通っても、こんな感じ

織物以外にも、骨董や、いろいろ売っていました。

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流木(おそらく)に彫られた仏像(おそらく)

そして、村のメインであるラオ・ラーオを造っているという装置がこれ。

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見ていると、なんとなくラオ・ラーオを買いたくなってくる

試飲をしてみると、なかなかの味わい。個人的には泡盛好きなのであまり気にならなかったけれど、アルコール度数は55度とのこと。強いお酒に慣れていないとちょっとビックリするかもしれません。

ラオス滞在中、店員さんから声をかけてくることはほとんどなかったのですが、唯一どこでも積極的に来たのは、小さな人形を売る子どもたち。

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1ダラー、と言いながら、特に日本人の男性に迫ってきた

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人形を売る子どもたちの関門を過ぎると、クルーズの船着場

いよいよメコン川クルーズです。

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posted by 五十嵐正人 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ラオス 2012年1月19〜23日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月06日

COPE資料館で感じたこと

1月20日、午後の見学先はCOPE(Cooperative Orthotic and Prosthetic Enterprise)の資料館。Orthoticは矯正器具、Prostheticは補綴。COPEは不発地雷の被害者や脳性マヒなど身体障害を持つ人への、補装具の提供や、作業療法などを行う施設です。

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街の中心に近いあたりに位置しています

海外からの見学者が来やすい場所にあるせいなのか、あるいはそうした人達に多く来てもらうことを望んでいるのか、見学者を意識した配慮が随所にありました。
実際の作業療法などの見学はできなかったのですが、見学者のための資料館を見せてもらいました。

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資料館入口の母子像

母子像は錆びたリサイクル鉄材で出来ていて、その後ろには爆弾と思われる円錐の物体が。爆撃から逃げまどう母と子を思わせます。
壁の「COPE」の文字は、補綴具を造る際に使用したと思われる足型で出来ていました。

内部は大きく3つに分かれていて、入口付近はTシャツなど資料館グッズの販売所。展示ゾーンは1フロアで、手前が地雷被害の歴史と現実を伝えるゾーン。奥がCOPEの活動を伝えるゾーンになっています。
手前のゾーンでまず目をひくのが・・・。

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アメリカの爆撃機から投下された爆弾が空中で開き、無数の地雷が撒き散らされる様子

一つひとつの地雷は小さく、殺傷能力は少ないのですが、これがゲリラの潜むジャングルに敷きつめられるように投下されたことを考えると・・・。
おそらくですが、わざと殺傷能力の小さな地雷を投下したのでしょう。地雷に触れたゲリラが死んでしまったら、ゲリラの戦力低下は、1地雷につき1名となります。しかし死なない程度で大怪我をする地雷であれば、その負傷者を助ける人手がとられるので、1地雷につき2名以上の戦力を奪うことが出来るのです。
それだけでも恐ろしいアメリカの戦術ですが、さらに恐ろしいのは、将来のことをまったく想定せずに、あるいは分かっていておこなったことです。爆発せずに残った地雷が、その後どのような悲劇をもたらすのか、この想像力が欠如している愚かさ。あるいは分かってやっていた、おそらくは他民族蔑視の高慢さ・・・。
現在でも、多くの人が不発地雷の被害を受けて、失明したり、手足を失ったりしているそうです。その中には、一つには貧しさから、危険を承知で売るための金属欲しさに地雷に触れる場合もあるといいます。
しかし、わからずに地雷に触れることもあるようです。長い年月がたって、不発地雷を土が覆ってしまっているためです。農地を開墾しようとして鍬を入れたら地雷に触れて爆発。あるいは地雷があることを知らずに、埋まった地雷の上に家を建ててしまったとか・・・。
返す返すも、アメリカはあの戦争に負けてよかったのだろうと思います。誰よりもアメリカ自身のために。もし勝っていて、その後のラオス、ヴェトナム、カンボジアの復興に責任を持たなければならない立場になっていたとしたなら、この不発地雷で現在も続く被害や、枯葉剤の後遺症など、すべての責任も負わなければならなかったでしょうから・・・。アメリカは、まったく迷惑な国だなと・・・。
と、アメリカの愚かさを思いながら、ふと頭をかすめるのは、福島原発の事故。原発を推進する時に事故の事を考えなかった想像力の欠如は、アメリカ軍の愚行と変わらない気がしました。
地雷をばらまくという愚行のせいで、多くの人が苦しみ、福祉が必要となっています。こんな福祉は本当なら必要の無いもののはずなのです。現在、福島原発事故によって撒き散らされた放射能が、将来において福祉を必要とするような被害者を生んでいくかどうかはわかりません。
でも、福祉に関わる一人として、行う時の想像力の欠如という愚かさによって生じてしまうような福祉は、できることなら無くなってほしい。
ミサイルが割れて地雷が降り注ぐモニュメントが、原発が爆発して放射能が撒き散らされる姿に重なってうつりました。

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COPEの活動を伝えるゾーンのモニュメント

奥の展示は、矯正器具や補綴具の様子がよく分かるものでした。
日本からの技術も入っているようです。そして、これらの技術者を養成することも、この施設の役割のようです。
まだまだこうした施設はラオス国内では足りない状態で、そのため遠くに住む人は、COPEで造ってもらった義足を、自身の成長に合わせて自分で竹や木を使い、調整しているとか。
COPEの役割は多岐に渡っていて、センター的機能もおっているのでしょう。

資金は厳しく、寄付やグッズの販売などにも頼っている状態です。

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入口入ってすぐのグッズ販売所のパネル

パネルは寄付してくれた個人や団体名を貼り出したものです。
ちょっとだけ、資料館見学で感じた違和感を書くと、モニュメントも含めて、見せ方が少し欧米的に洗練され過ぎている感じがしました。もちろんそれ以前にCOPEの活動そのものがキリスト教的な文化に洗練されたものであり、そうであるからこそ出来る支援活動なのですが。ですから否定するわけではなく、ちょっと違和感を・・・。

販売されていたTシャツの一つをご紹介したいのですが、画像はアウトかもしれないので・・・。
正面には、世界的に有名なキャラクターが眼帯をして、片足を失い松葉杖をついている姿がプリントされています。もちろんアメリカは爆撃した側なので、キャラクターはアメリカ発信のものではありません。そのキャラクターの上には「HELLO CLUSTER BOMB!」のコピー・・・。

COPEの活動については、下記URLのホームページで見ることができます。
http://www.copelaos.org/

濃くて深い、一日の研修が終了しました。

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僕らを運んでくれたバスです
posted by 五十嵐正人 at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ラオス 2012年1月19〜23日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月04日

パトゥーサイに上ってみました

最初の見学を終えて、車で街の中心部に戻りました。

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田園風景

の続く中に、

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ビール工場

滞在中、ここのビア・ラーオにはお世話になりました。
ラオスにはコインが無く、自販機も無く、水はそのままでは不安なので、ミネラルウオーターとビア・ラーオとラオ・ラーオ(米焼酎)で水分を補給。季節は冬なのですが、昼間は30度とか、そんな世界でした。

次の見学の前に、市内観光を。
行ったのは、パトゥーサイ。パリの凱旋門を模して造られたとのこと。

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正確には、造られているところ

実はまだ未完成で、たとえば4個所の階段のうち2個所はまだできていなかったり・・・。そういう意味では、凱旋門というより、バルセロナのサグラダ・ファミリアみたいな感じでしょうか。建て始めたのは1967年とのこと。全体に、いい感じでゆっくりしているラオス時間の象徴なのでしょう。

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長い階段を上ると、市内が一望できる

ラオスは日本と異なっている歴史と文化の国です。上座仏教が信仰されていることや、社会主義国であるということ。それから、複数の民族によって構成されている国であるということ。日本を単一民族国家と呼ぶかどうかは微妙なところですが、ラオスの場合は公式に49の民族がいるとされています。
ですから今回の旅で接することができるのは、いくつかの民族の暮らし。それも都市や観光地を中心とした暮らしに限定されます。
民族ごとに言語が異なったりもするようなので、福祉についても日本のような国内同一の障害者自立支援法や介護保険などは、難しいのかもしれません。もちろん、それが一概に悪いことであるとはいえないでしょうし、この短い研修では、そこまで判断することははばかられます。
ただただ、日本とは異なる国の姿に、興味が高まるばかりです。

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昼を食べたレストラン

日本のレストランでも花が飾られている店は多くありますが、ラオスではこんな感じ。

そして日本と異なる点を、もう一つ。
ビエンチャンの電信柱です。密集する電線もさることながら・・・。

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電柱が四角形なんです
posted by 五十嵐正人 at 16:35| Comment(4) | TrackBack(0) | ラオス 2012年1月19〜23日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月03日

ラオス障害者女性開発センター

1月20日、最初の見学先は「ラオス障害者女性開発センター」。

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入口には、日本語の表記も

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センターの建物はこんな感じ

リーダーの方から概要を説明していただき、中を案内してもらいました。
このセンターは障害を持つ女性を対象として、職業訓練を行い、雇用に繋げていくことを目的としているようです。
職業訓練のメニューは・・・。

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ミシンを使った縫製作業

や、

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紙工芸

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たとえば、こんな作品

そして、

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織物

他に、パソコンや英語なども教えているようです。

完成した作品は販売もされています。
センターのホームページで見てください。
http://sites.google.com/site/laodwdc/

リーダーの方自身が歩行に障害を持っていて、こうした福祉活動について沖縄で研修を受けたとのこと。
センターの開設、運営には日本からも一年程度の経済的支援があったそうです。
形としては、キリスト教をベースにした欧米型の福祉施設だといえるでしょう。

せっかくなので、周辺住民との関係性について質問させてもらいました。僕がラオスで知りたかったことの一つ、上座仏教を信仰している人達が、どのように障害者や福祉を認めているのか?
僕の知識では、上座仏教には現世利益よりも輪廻を重要視するイメージがあります。そうすると障害を持って生れてきたということは前世に原因があり、それは現世の生き方により後世で解決されるということになるのでしょう。だとしたなら、このように障害を持つ人達に職業訓練を提供することは、一般市民からは無意味な行為と思われるのではないか・・・。
リーダーの方が答えてくれたところでは、地域住民とはいい関係でいるようです。
通訳の方を介しての僕の理解としては、地域住民の方たちには福祉についての認識が、あまり無いような感じでした。日本でも福祉関係者以外の国民の理解が低いという印象がありますが、ラオスではそれ以上に福祉関係者と一般国民の間の意識の差が大きいようです。
その原因はいろいろあるようですが、一つは社会福祉の法律が未整備のため(現在整備中らしい)、おそらく税金があまり投入されていないせいかもしれません。他国や民間からの経済的な支援によって運営されているので、その欧米的システムはそもそもが別世界。地域住民との間で信仰上の軋轢を生むような距離感ではないように思えました。
逆に、実利の面では地域住民には歓迎されているようです。一般的にはパソコンや英会話などのスキルを学ぶ場の少ない地域で、このセンターは際立った存在です。そこで障害を持っていない人達にも有料でパソコンなどの訓練を提供。その収益を運営費用の一部としているとのこと。
このことは自然と、障害を持つ人と地域住民が同じ場所で学ぶスタイルを生み出しているように思われます。
以前、ばおばぶでボランティアをしていた方にイギリスのグループホームへ留学していた人がいました。その人の話しでは、ホームの人達が街の中にある、障害者専用ではないカルチャーセンターに通っているとのこと。だいぶ前の話しですが、一般的なカルチャーセンターで地域住民と一緒に学んでいる姿があったそうです。それは地域の学ぶ場に障害者が入っている形で、ラオスのセンターとは逆の図ですが、共に学んでいる点では同じです。より優れた場に集まるという点では同じで、イギリスの場合は地域に、ラオスの場合はセンターに学びたい人が集まったということなのでしょう。
日本の制度は障害者に、地域と同じ水準っぽい別世界を提供することを目的としているので、障害者は障害者の場で学ぶ、という構図になっています。・・・残念!

ラオス、いいな、と思ったのですが、今後社会福祉の法律が整備されて税金が使われるようになっていった場合、地域住民が今まで通りの意識で障害福祉施設と接してくれるのか、不安が残ります。
税金を使わない良さって、あるよな・・・。と、ばおばぶ的には思いました。

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センターの食事をまかなう炊事場

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国内にこうした場は少なく、寮も作られました

けっこう広い敷地で、

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フリスビー

や、

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ペタンクのコート

も、ありました。
この土地は、フランスから無償提供されたとのことです。
・・・と、いうか勝手に植民地化しておいて、恩きせがましく無償提供するフランスって、何様!

センターを見学した印象では、福祉だけではなく、障害についても地域の人達の理解と、福祉関係者との間では大きな隔たりがあるようです。そして、それゆえに共存できている感じ。上座仏教と社会福祉は、お互い干渉し合うことなく離れて共存し、その一方で職業訓練などの実利を共有しているのでしょう。
あくまでも、僕のもった個人的な印象なのですが・・・。

あっ、それから、女性を対象としたセンターであることについては、特に仏教的な理由は無いようです。むしろ女性と限っているセンターの方がラオス国内では少ないようです。

センターの中には図書室もあって、

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なんと「星の王子さま」が二冊も

僕らの「ばおばぶ」という名称は、この本からいただいたもの。大きくなって星を壊すバオバブのようにならないことを戒めての命名です。
考えてみると、フランスに植民地化されていたラオスですから、キリスト教をベースにした欧米的部分と、上座仏教国としての根本は、ずっと昔から共存していたのでしょう。

あっ、そういえばラオスは社会主義国のはず。なのに福祉施設が民間によって運営されているということ・・・。
不思議な国、ラオスの研修がはじまりました。
posted by 五十嵐正人 at 00:45| Comment(2) | TrackBack(0) | ラオス 2012年1月19〜23日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

ラオスに行ってきました

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飛行機からの眺め(ビエンチャン)

ラオスに行ってきました!
しかも研修旅行。千葉県福祉協会の授産部会が毎年行っている海外の視察研修に、紛れ込んでの参加です。
授産というのは、障害を持つ人の就労についての支援なので、僕は畑違いです。しかしラオスでの福祉のあり方にずっと興味があったので、ご一緒させていただきました。

僕がラオスに興味があったのは、大きく次の2点です。
一つは、ラオスが上座仏教の国だということです。上座仏教の国において、福祉はどのように存在しているのか・・・?
日本も仏教国ですが、日本の場合はみんなで救われようという大乗仏教ですから、キリスト教をベースとした欧米型の社会福祉が成立しています。仏教国とはいっても、日本はそんなに気合の入った仏教国ではないですし・・・。
しかしラオスは日本よりもずっと本気の上座仏教国。独自の福祉があるのか? それとも欧米型社会福祉を独自の形でとりいれているのか?

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ルアンパバーンで見た托鉢の様子

もう一つの興味は、社会主義国の福祉の形です。社会福祉国ですから社会福祉があることはわかるのですが、考えてみると社会主義国であると同時に上座仏教国であるということが、とても不思議です。
ステレオタイプな分類をすると、大雑把に「個人主義=資本主義=上座仏教」「公共性=社会主義=大乗仏教」というイメージです。

社会主義国で上座仏教国ラオス。どんな福祉が成立しているのか?

これが、僕の中での研修テーマでした。
もちろん、数日の滞在だったので、このテーマに答えは出ませんでした。
ですから、この僕の研修テーマについてはあまり気にせずに、どうぞブログをお楽しみください。
 
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パトゥーサイから見るビエンチャンの街並み

日程は、1月19〜23日。
19日の朝、成田空港を出て、ハノイ乗り換えで夜(時差2時間)ラオスの首都ビエンチャンに到着
その夜は街のレストランで夕食をとって、夜の街を散策。

LAO01.jpg
屋台のヌードルが思いっきり美味しかった! 値段は7000キープ(日本円で約70円)。通貨単位が大き過ぎ、しかもコインは無い。デノミをすればいいのに、と思いながら旅をしました。

20日には午前中、障害を持つ女性のための施設を見学。その後、昼食をとりながら市内観光。そして地雷で身体に障害をおった人などのための施設を見学しました。

21日朝、飛行機に乗って世界遺産の街ルアンパバーンへ移動。メコン川沿いの観光。

22日は托鉢を見学。市内観光をして岐路へ。その夜は機内泊をして23日に成田に戻りました。

何回になるかわかりませんが、ブログで書いていきます。
どうぞ、ご覧ください。

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メコン川
posted by 五十嵐正人 at 13:05| Comment(4) | TrackBack(0) | ラオス 2012年1月19〜23日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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